高効率石炭火力の憂鬱
二酸化炭素(CO2)排出量が多いと四面楚歌の石炭火力だが、CO2排出量低減のためには電気出力あたりの石炭消費量を減らす(発電効率を上げる)ことが技術的には最も確かな方法であろう。最初の蒸気機関は1712年にニューコメンが発明した蒸気直接冷却方式のシステムで熱効率(燃料のエネルギーを動力に変換する効率)はわずか0.5%であった。蒸気機関の発明者はジェームスワットと思う人が多いが、ワットはそれから57年後の1769年に蒸気間接冷却方式のシステムを発明し熱効率を4倍の2%まで向上させている。直接冷却はボイラから発生した蒸気中に水を直接吹き込んで冷却しピストンを下げる。間接冷却はピストンが上下するシリンダを保温するとともに蒸気を水に戻す分離型冷却器を設け、ボイラから発生する蒸気温度と冷却温度との温度差で蒸気機関として成立する最初のシステムとなった。その後英国のウイリアムランキン(1820~1872)が蒸気機関を工学的に理論化し、ランキンサイクルとして一般化した。ランキンサイクルは簡単に言うとボイラで発生する高い蒸気温度と例えば海水で冷やす水の冷却温度が決まれば最大の熱効率は決まるという法則で、謂わば黒部ダムの頂点と日本海との落差で最大発電量が決まるのと考えれば良い。ダムが高くなればなるほど発電量は増えるのは理解できるだろう。
蒸気タービンだけを使う発電システムはランキンサイクルに縛られるため、効率向上には主蒸気温度の向上とそれに伴い蒸気圧力の向上にまい進した。発電用としては1900年過ぎに蒸気圧力が10at、温度が260℃程度であったのが、1950年頃には42at、450℃まで上がり熱効率は20%程度まで上昇した。更に1970年頃からは再熱サイクルという一旦蒸気タービンを通過して仕事をした蒸気をもう一度過熱して再度蒸気タービンで仕事をさせるシステムが蒸気条件169at、538℃/566℃として大型の発電所に適用され、一気に熱効率も40%近くまで向上した。ちなみに蒸気圧も温度も中途半端な値となっているが、米国の単位で行くと2400psi、1000F/1050Fときりの良い値になる。この先蒸気タービンサイクル(ランキンサイクル)だけで熱効率を向上させるには、再熱サイクルの段数を2段から3段にする、あるいは主蒸気温度と主蒸気圧力を超臨界圧力(246atX538℃/566℃)から超々臨界圧力(250atX600℃/600℃)へ上げるという道があり、日本だけでなく欧米も石炭火力では蒸気条件の向上を採用し、近年の姿になっている。これにより発電熱効率も44%を超える数値を達成している。
ここまでのやり方は技術的、経済的に許される範囲で蒸気条件を向上するというリーゾナブルな手法で、現在の石炭の値段から考えれば納得の得られる姿である。一方、天然ガスを使用した発電システムもガスタービンの性能が低い1980年以前は天然ガスをボイラで燃焼させ蒸気を発生させ蒸気タービンを回してきたが、ガスタービンの性能が上がるにつれ、ガスタービンをトッピングにし、蒸気タービンをボトミングとしたGTCC(Gas Turbine Combined Cycle)が優勢となり現在に至っている。近年のGTCCでは熱効率(低位発熱量基準発電端)が65%を超えるものも建設されている。GTCCはブレイトンサイクル(ガスタービンのサイクル)とランキンサイクル(蒸気タービンのサイクル)を組み合わせているが、発電効率の向上にはガスタービンの性能向上が鍵となり、効率向上にはガスタービンの燃焼温度上昇が支配的である。このように、石炭焚き火力と天然ガス焚き火力の効率向上の方向性は確立され、いずれも工学的に機械製品として達成可能な温度上昇が鍵となる。
ここまでは火力発電の主流をなす石炭火力とGTCCの効率向上の経緯を記載したが、主流だけでは飽き足らない人たちは更に頂点を目指そうとした。それが今回の本論の「高効率石炭火力の憂鬱」である。
PFBC
PFBCというのがあった。PFBCはPressurized Fluidized Bed combined(あるいはcombustion) Cycleの略で加圧流動床複合発電という。後ほど述べるIGCC(Integrated coal Gasification Combined Cycle)の開発が1990年に入り滞留していたとき、当時スイスのABB(Asea Brown Boveri)が25万kW級のPFBCシステムを開発した。開発のコンセプトは小型で脱硫を兼ねた加圧燃焼器内で石炭を燃やし、燃焼した850℃の高温ガスを直接ガスタービンに導入させるシステムである。そもそもABBの最初の考えには高い発電熱効率の概念はなかった。また、ABBはガスタービンの製造を従来から行っており、開発の発想がガスタービンから始まっていて加圧燃焼器は天然ガスの燃焼器の代わりという考えだった。従い、加圧燃焼器とガスタービンの間には余計なものが設置されず、ガス配管も二重管で構成され、高温ガス配管は周囲を低温の空気配管で囲まれた差圧設計となっていて、850℃の高温ガスを通す配管の厚さも薄く設計可能であった。ガスタービンの翼はガス中に煤塵が入っていると摩耗を起こし寿命が持たないが、このガスタービンの翼は肉厚で耐摩耗性能も優れていた。耐摩耗性には優れていたが現在の構成のガスタービンに比べて翼の効率が劣後していたのは致し方ない結果である。煤塵除去には加圧容器内にサイクロンを設置し、除塵性能は高くはないものの、加圧容器内にすべての設備を内蔵することが可能で、余計な容器を外に設置する必要はなく、システム的には一日の長があったと思う。この設計思想をそのまま引き継いだのが九州電力苅田発電所360MWのPFBCで、しばらく休止していたがこの夏の電力危機を見越し運転再開した。下図は九電の苅田発電所のパンフレットから抜粋した系統図である。
同じ時期中国電力+電源開発(下図参照)と北海道電力がやはりPFBCを導入した。前者は日立製作所が、後者は三菱重工がEPCを担った。両者の特徴はオリジナルのABBのPFBCが加圧容器の中に除塵装置のサイクロンを内蔵し、粗除塵された高温ガスをそのままガスタービンに導くのに対して、セラミックフィルターで高温ガスからガスタービン翼の摩耗対策上必要な煤塵量まで精密除塵するものであった。よって、サイクロンもセラミックフィルターもまた高温ガスを移送する配管も10k超の高圧と850℃の高温に耐える構造が必要となった。
金属は高温になると耐力がなくなり、最終的には飴の様に溶けるかあるいは空気雰囲気中であれば燃えてしまう。850℃という温度は耐力のある特殊高温金属でも厳しい温度で、ガスタービンの翼や燃焼器などに少量の耐熱部に使用されるのが普通である。それを大口径の配管やセラミックフィルターの部材に使用するには無理があり、耐火材内張構造とするか冷却構造を併用するなど対策が必要であった。これは設計思想の違いと言ったらそれまでかも知れないが、結局高温ガスを飲み込むガスタービンの摩耗性に耐性があるかないかの違いで、PFBCに適した摩耗に強いガスタービンを持っていたABBと既存のガスタービンを転用せざるを得なかった日立と三菱重工の違いが全体システムの複雑さを要求することになった。その結果、長期間の運転が困難になり、早い段階で休止火力となった。ただし、オリジナルのシステムであっても)、流動床という流動材(石灰石と灰)の中に水蒸気を発生させるための水管を設置する方式のため水管の摩耗が激しく、度々リークして炉内が水浸しになり、復旧に長期間が必要な事故も発生している。
そもそもなんでこんな複雑で信頼性の薄いシステムを導入したか?ということだが、日本ではPFBCは高効率、高い環境特性、更に設置面積が少なくて済むといううたい文句になっている。欧州で最初に開発されたときのコンセプトには高効率がなく、また高環境特性も湿式脱硫装置がついてない石炭焚き火力に比べてSOX排出値が低いだけの話である。PFBCは炉内の流動床に石灰石を使うため、炉内で脱硫が可能である。排ガス中のSOXは低めに保つことでき、また後流の湿式脱硫が不要になったことで敷地面積が小さくできた。効率が高いという宣伝文句は「コンバインドだから効率は高くないといけないという」呪縛所以であるが、小型で高々850℃の燃焼温度のガスタービンとの組み合わせ、かつ石炭はスラリ供給では効率が高くなるはずはない。現在LNG焚きのガスタービンは燃焼温度が1700℃クラスになっている。PFBCは当時某電力会社の常務が日本各電力会社に宣伝し、IGCCの開発が停滞していた中、石炭に発電の多くを頼っていた3+1電力会社が飛びついたと言われている。それに重機メーカである三菱重工、日立製作所、IHIも乗り、初物として世に出したものの、なかなかうまくいかなかったというのが実情であろう。
IGCC
IGCC (Coal Gasification Combined Cycle:石炭ガス化複合発電)は1980年代、米国のCool Water Projectが立ち上がり、日本の東電、電中研も開発資金を出し、研究員も派遣してその開発状況の調査を続けた。ガス化炉は石油メジャーのTexcoが開発した炉で、そもそもは石炭をガス化して化学製品を作る目的で設計されていた。石炭ガス化炉というと新しいプロセスと思う方もいるが、都市ガスがLNGではなかった戦後から1970年代までは石炭をガス化して都市ガスを製造していた。だからガス中に一酸化炭素が含有され、ガスで自殺ができた訳である。
石炭ガス化で難しいところは三つある。
1:如何に高圧の容器内に石炭を投入するか?
2:石炭に10%程度含まれる灰を如何にうまく溶かして排出するか?
3:高温で灰が溶けてる状態のガスを灰の溶融温度以下に如何に急激に冷却するか?
Texacoガス化炉はガス化剤に酸素を使用し、約25気圧の高い圧力中に石炭を水と混ぜたスラリ状で吹き込み、酸素でガス化する方式を採用している。石炭灰の溶融温度は炭種によって違うが、1400℃級である。スラリ状の石炭を還元域で燃焼(厳密には燃焼とは言わない)させることで灰をガス中で溶かし、熱回収を一部行った後で一気に水で冷却して灰はスラグとして水中で固化し回収される。Texaco炉は後年GEに買収され、米国ではその後2,3の実証炉が建設されたが、商用機は実現していない。また、このIGCCのコンセプトには日本と違い、優れた熱効率を追求してないため、石炭は水と混ぜたスラリ供給だし、ガスの急激な冷却も水クエンチで実施している。なぜかというと米国は石炭の単価も安く、かつ超々臨界圧の石炭火力も浸透してないので、無理に効率を上げる必要がなかったのである。一方、欧州のガス化炉はブゲナムのShell炉にせよプエルトヤノのPrenflo炉にせよ石炭は乾式供給で、潜熱損失を発生させてない。またガスの急冷も米国のガス化炉が水で行っているのに対して、後流の冷やされたリサイクルガスを注入して行っている。このように欧州のガス化炉は熱効率を高く保てるよう考慮した設計となっている。ただし、欧米とも化学会社が開発したケミカルプロセスを念頭にした酸素吹きのガス化炉となっている。
ガス化炉で難しいのは如何に溶けた灰(スラグ)をきちんと排出するかである。灰はガス化の段階で溶融する。すべすべの液体の状態になり水中に落下することで固化し排出する。一部の灰は溶融状態でガスと一緒に運ばれるが、最終的にはガス中にさらさらの個体の状態で存在し、そのさらさらの灰とチャー分(石炭の炭素分)は後流でサイクロンやセラミックフィルターで回収することになる。よって、すべすべの液体からサラサラの固体の間に必ずベトベトの状態が存在する。このベトベトの状態では灰が炉壁に付着し、時間とともに堆積し、結局詰まってしまい運転不能になる。これを防ぐにはベトベトの状態をごく瞬間ですり抜ける対策が必要で、Texaco炉ではそれを水冷却で行い、欧州のガス化炉は後流の冷たいガスを再循環して注入し一気に冷却している。日本の勿来、広野で運転を開始した三菱炉及び中国電力大崎で試験を行っているEagle炉(元日立製作所、現在三菱重工)は共に灰をスラグとして溶融させた高温のガスに石炭を投入し、ガス化反応(C+CO2=2CO-Q, C+H2O=CO+H2-Q)による吸熱反応でガスを急冷している。前者はガス化剤に空気を使用し、後者は酸素を使用しているが急冷(Quench:急冷)のメカニズムは同じである。従って水でガスを冷却するという顕熱損失や冷たいガスの再循環に必要な大型ファンは必要なくなる、
ここで日本のガス化炉の歴史を振り返ってみよう。前述したアメリカのCool Water Projectとほぼ同じ時期に国産のIGCCを開発しようという機運が芽生え、電力会社、重工メーカを中心に研究を開始した。開発の目的は「高効率」と「国産技術」の優先順位が高く、当時は国内電力会社は包括原価方式で売電単価を余り気にすることもない時代であり、「よいもの」を作るのが第一義であった。電力会社の研究機関である電中研は、横須賀研究所に石炭処理容量2t/dのテスト炉を三菱重工に設計、建設を発注し1983年より試験を開始した。空気吹きを選択した理由は「高い発電効率」であり、酸素吹きに必要な深冷分離酸素製造装置は多大な動力が必要だったため、酸素を使わずに空気吹きでも石炭ガス化が可能なことを開発の第一義とした。世界で空気でのガス化を行っているシステムはなく、「Only One技術」であった。なお、世界で空気吹きがなかった理由はきわめて単純で、すべてのガス化炉が化学process向けに開発したものであり、空気を使う理由は頭からなかったこともある。唯一米国の当時のボイラメーカであるCE(Combustion Engineering)は常圧空気吹きのガス化炉をPilot Plantで試験を行っており、当時の三菱重工はボイラのライセンサであるCEを見習ったとも考えられる。
因みに同じ時期に当時の通産省炭業課は北海道夕張に石炭処理量5トン/日の空気吹き流動床ガス化炉を試験中だった。電力課が推す噴流床タイプのガス化炉に比べて、大型化が難しいことや負荷変化速度が速くできないことなどの理由で開発はこの段階でストップとなった。しかし、30年後に違った形で旧炭業課が息を吹き返した。
基礎開発と並行して当時通産省電力課はNEDOを通しIGCCのパイロットプラントを計画し、各電力会社からも資金を募り、石炭ガス化複合発電技術研究組合を設立した。常磐共火勿来発電所構内に200t/dの設備を建設し1991年から試験を開始した。国家プロジェクトのため設備メーカは呉越同舟となり、ガス化炉は三菱重工、ガスタービンは日立製作所、脱硫はIHIでIGCCのような複雑な主系統のバラ発注は信頼性上、経済性の観点からもお勧めできない形態である。しかしパイロットプラントはシステムでなくガス化炉本体で大きく躓いた。スラグを排出するためにガス化炉の燃焼室は灰の溶融温度以上に維持し、ガスは溶けているスラグを随伴しながら上昇するが、スラグのベトベト領域を制御することができず、炉内部に付着し運転時間の経過と共に閉塞を起こしてしまった。空気吹きではあるが、石炭や後流で回収したリサイクルチャーの搬送に使用している窒素の量が酸素分圧の低下を引き起こし、結果ガスを必要以上に冷やすことになりガス化炉のくびれ部でスラグが付着することを防止できなかったというのが理由である。対策としては結局ガス化剤の空気に酸素を少し混ぜて空気中の酸素が21%に対して25%から27%くらいまで上昇させ、残りの窒素は石炭搬送などに使用し、無事長期連続運転が可能となった。まあ、酸素富化空気吹きになったわけである。この成果を糧に2005年からは250MWの実証機(下図にフロー図を示す。常磐共火のパンフレットより)の運転を開始し、所定の運転性能が得られたため実証機は常磐共同火力10号機として商用電源に転用された。更に、福島復興500MW級IGCCを常磐共同火力勿来発電所と東電広野発電所に建設し運転を開始した。因みに先行した勿来発電所は東京オリンピックの電源として期待されたが、コロナと試運転でのトラブルで運開が遅れ、結果的には1年遅れのオリンピックに間に合わせたという皮肉な結果となった。
一方、同じ噴流床ながら酸素吹きガス化炉の開発も一歩遅れて始まった。空気吹きが旧鵜通産省電力課+東電リーダー+三菱重工なのに対して酸素吹きが旧通産省炭業課+電発/中国電力+日立製作所という組み合わせである。後者は酸素吹きIGCCを国家Projectにて立ち上げるためにIGFC(Integrated Coal Gasification Fuel Cell Combined Cycle: 石炭ガス化燃料電池複合発電)という差別化戦略を立ち上げた。当時燃料電池はリン酸型がやはり国の援助で開発されていたがうまく進んでなかった。一方、高温燃料電池のSOFC(Solid Oxide Fuel Cell:固体電解質燃料電池)は小規模の設備を試験的に運転しているレベルであったが、低温型の燃料電池がガス中の硫黄分や一酸化炭素含有を許容しないのに対して、SOFCは支障がないという利点を持っていた。酸素吹きガス化炉を開発したいグループは「酸素吹きガス化炉であれば超高効率を狙えるSOFCと組み合わせることが可能で、空気吹きガス化炉と差別化が可能」と官庁を説得して予算を獲得した。差別化の論理は誰でも納得できるものが必要で、IGFCの説明には反対論を抑え込む論理展開があり、酸素吹きガス化炉推進派は錦の御旗ができたことになった。SOFCは理論的には石炭ガス化炉と組み合わせることはできるとはいえ、当時せいぜい数十kWクラスの試験機ができたかどうかの段階で、また大型化は経済的観点からも石炭焚き発電所に組み合わせるにはかなり無理があった。しかし、一旦うまく引いた路線を官庁は変えることは嫌がるため、引き続き2021年もその路線にCO2回収を組み合わせて所謂“研究開発事業”を続けている。なお、開発着手当時は三菱重工と日立製作所が空気吹き(酸素富化)と酸素吹きで対立していたが、1996年には両者の原動機部門が合併し、更に後年日立製作所が株を三菱重工に譲渡したことで、両方とも三菱重工の傘下で実施するという皮肉な結果となっている。
このように空気吹きIGCCは国内の開発着手から40年を経て漸く商用機に育ったが、当時の“コストは二の次にして発電効率を第一”とした国家プロジェクトはその意義が薄れた。現在の2基の500MW商用機は福島県に建設されているが、東日本大震災の復興事業としてうまくストーリが成り立ち、かつ三菱グループの出資を得て事業が運営されている。
IGCCは微粉炭火力では使用できない石炭が使えるとか灰の回収をスラグでできるため減容されるなどのメリットもあるが、構成するシステムが複雑で数が多く、微粉炭火力以下の建設費を達成するのは難しい。更に商用機が運転開始の2021年には、パリ協定の遵守を目指すため石炭利用への逆風は極めて激しくなり、IGCCを石炭発電所輸出の核としようとした戦略は潰えた。国内でも現在試運転中の広野火力でのIGCCが最後の商用機となろう。歴史に「ればたら」はないが、パイロットプラントでの運転が最初から順調にいけば、実用化を10年早くできた可能性が高く、技術開発の初手は如何に重要かということが身に染みる。
AUSC
AUSCとはAdvanced Ultra Super Critical の略で、日本語に訳せば超超超臨界圧火力発電といったところか。水は22.1MPa(218気圧)を超えると、液体と気体の区別がなくなるいわゆる臨界点となる。超臨界圧発電は246気圧(主蒸気圧力)/538℃(主蒸気温度)/566℃(再熱蒸気温度)クラスの蒸気条件を採用し、1980年頃から日本では実用化されている。超々臨界圧は250気圧/600℃/600℃~620℃クラスの蒸気条件を採用し2000年頃からの実用化となっている。AUSCは主蒸気圧力350気圧の二段再熱を採用し、蒸気温度も700℃(主蒸気)/720℃(再熱温度)/720℃(二段再熱温度)の超高温となっている。蒸気サイクルは温度が高いほど、再熱段数が多いほど理論的には高い効率を発揮できる。一方、高圧、高温の蒸気にさらされる配管、ボイラ、タービンは従来の材料では持たず、新たな材料開発から始めなくてはならない。経産省のエネ庁は国内の関係するすべてのメーカを入れた国家プロジェクトを立ち上げて15年前より開発に着手した。材料はニッケル基系の合金をベースに検討されてきたが、ガスタービンの高温材料の様にごく少量使用するのであれば冷却も加味して一点豪華主義が可能であるに比べて、主蒸気管の様にボイラとタービンを数十mに亘って繋ぐ配管にこの様な材料を使用するのは極めて困難である。溶接、加工、熱伸び、寿命を考えれば実用化には程遠いというのが実情であった。理論的には可能であろうが、工業的、経済的には不可能なシステムである。結局実機に至る前に地球温暖化防止のCO2削減の波に飲み込まれ、なし崩し的にストップが掛かってしまった。ほっとしている人も多かったのではないか?
まとめ
技術開発は大胆な目標を立て、それに向かい次の5つのステップが必要である。
基礎技術開発(材料開発など)、
実験機検証(開発要素の高い機器については基礎性能を確認)、
システム開発(全体システムを仮想で作り上げ、工業的、経済的に目処があるか試設計)
実証機開発(商用機を模した実機検証を行う)、
商用機建設
研究者あるいは開発者は、通常熱く自分の技術が成功して世にでることを願い、その業務にあたる。それ自体は間違ってはなく素晴らしいことだが、それにのみ没頭すると周りが見えなくなり、また継続を望むがためにバイアスを加えがちである。
ここに登場した3つの高効率石炭火力は国の支援を得て、電力会社と重工メーカがタッグを組み、世界に冠たる石炭利用技術を誇るはずであったが、地球温暖化対策で石炭火力の道が潰えてしまった。現在CO2回収も時代の寵児に躍り出そうとしているが、工業的、経済的に成立しなくては結局一時の熱狂に終わってしまうことになろう。
技術とシステム設計に将来性がなかったPFBC
商用化までに時間が掛かりすぎ、時期を逸したIGCC
工業的、経済的に成立が見込まれないAUSC
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